2009.04.30
C57 1号機

貴婦人の愛称を貰い人々に愛されるC57形
総生産数、201両
これとは別に戦中と戦後に台湾総督府鉄道(後の台湾鉄路管理局)用に14両が生産されました。
1号機は1961年に土砂崩れの現場に突っ込んで脱線転覆し
大破したためにしばらく放置されましたがトップナンバーと云う事と
機関車の不足のおかげで廃棄されずに修復され復活しました。
’72年(?)にはお召し列車の牽引車の名誉を受けたりしながら至る所で活躍しつつも
時代はディーゼル、そして電気へと移行し始めていて
’75年に北海道で活躍していた蒸気機関車が引退すると
全ての蒸気機関車の営業運転が終了してSLの時代は終わりを迎えました。
通常の営業運転は終わりましたが、一部の蒸気機関車はイベント列車として保存され
短距離間でのイベント列車として運行された事は何度かありましたが
本格的な記念列車の運行として、翌76年に『京阪100年号』が計画され
その記念列車の牽引車にこのC57 1号機が選ばれて実施されました。
本格的な運行という事で鉄道ファン(か?)が至る所(線路内も)で撮影する為に
緊急停止や徐行運転を繰り返したために大幅にスケジュールを乱したのが影響したのか
帰路の千里丘-茨木間で大人たちに混ざって線路内に進入して写真撮影をしていた
小学生を跳ね飛ばし死亡させる事故(京阪100年号事故)を起こしてしまった事で
大都市圏での安全面の確保の難しさからか
SLのイベント列車の企画を全て頓挫させてしてしまう事態を招いてしまいました。
そんな中に有っても、当事者の1号機はそのまま動態保存され
’79年にSLやまぐち号の牽引車として運行保存が決定し現在に至るまで運行を続けています。
老朽化により’85年には国鉄時代最後の徹底した解体修理で生まれ変わった1号機ですが
10年後の’95年に兵庫県の鷹取工場で検査を受けている時に阪神淡路大震災に遭遇
ジャッキ上にいた1号機は転落しボイラー等至る所を損傷しましたがやはり復活
2005年には機関車の骨格となる鋼製の台枠に亀裂が発生する致命的なトラブルに見舞われた為に
やまぐち号は他のC56やDD51に置き換えられて運行され
その間に修復&修繕作業により更なる延命処置を受けて
’07年にはついに竣工70周年を迎え’72年のお召し列車の姿を彷彿とさせる整備が行なわれ
’09年には炭水車の老朽化に伴い新製された炭水車に交換されるなど
貴婦人と云われる容姿とは裏腹に波乱万丈な経歴の持ち主……
って、何か話が脱線しまくってますね(¬¬;
↓
余談ですが(おい)
京阪100年号事故は10歳の子供が亡くなる痛ましい事故で
国鉄側にも問題が無かった訳では無いと思うのですが
当時、現場には侵入禁止用のロープを張っていて
それを無視して侵入した大人たちのモラルの無さが
最大の問題だと思うんですよね~
この事故現場に限らず他の場所でもかなりキワドイ状況と云うのがあったそうで
列車を緊急停止させたりして大幅な遅れを生じさせていた訳で
より良い場所で撮影したい気持ちも分からんでも無いけど
最低限のマナーすら守れんのは鉄道マニアの最低な伝統ですかね(怒)
って、いつもの事とは云え脱線しまくりで申し訳無いです。
で本題は
この娘も10年以上前に入手した娘で
今でも安定した走行を見せてくれるのでお気に入りの娘なんですが
後述するEF57形に牽引する客車を持っていかれてしまい
EF57形との57コンビでその客車を牽引させたりしていたのですが
今回、編成の再編により12系客車の専属牽引車となりそうですね!

↑この状態(手前側)
以上!!(マテ)
いや、だって、これ以上他に書きようが無いので……
前振りに思いの他文字数取ったしね~
まぁ~、山口号用の客車がセット販売してるから
それを入手しても良いんでしょうが、個人的にはあんまり好きじゃない客車だし(^^
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