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日本の義理

 以前のブログで10月に書いていた記事なんですが、自由インド臨時政府主席“スバス・チャンドラ・ボース”が事故死した日が、62年前の今日なので転記します。

 と云うことで(?)、今回は太平洋戦争中、親日家として各国にあった5人の最期を追って見たいと思います。

 戦争末期のポツダム宣言受諾を決めた直後の8月11日と14日に、アジアの各国駐在大使宛に極秘電が東郷外相より打たれました。
 内容は戦争中に日本に協力してきた要人に対して、協力への感謝の意を示すと共に、希望すれば日本への亡命を受け入れる旨を伝えるものでした。

以下↓



☆満州国皇帝“愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)”
 日本が敗戦した3日後の8月18日に満州帝国解体を溥儀自ら宣言するとともに満州帝国皇帝を退位し、退位宣言の翌日に満州を脱出しようと通化飛行場から飛行機で日本に逃亡しようとしますが、直前にソ連軍の空挺部隊によって拘束・逮捕されてしまいました。
 その後、溥儀は戦犯としてソ連の収容所に送られますが、東京裁判に於いてソ連側の証人として出廷し、ソ連に有利な証言を強要されたのち、中国へ身柄を移されて戦犯として政治犯の収容所に収監されました。
 収容所では「再教育」と称される共産主義教育を受けさせられますが、幼い頃から皇帝としての教育を受けてきた溥儀は、自分の身の回りのことはまったく出来ず、他人の気持ちを推し量ることも出来ない人でしたが、収容所生活が進むにつれ皇帝時代の自分を捨てるべく努力し、1959年に模範囚として特赦を受け、一般市民として暮らすことになりました。
 が、結局、皇帝という肩書きが付いて回ったために、癌に冒されますが治療は「元皇帝」と云うことで受けることが出来ずに、1967年10月17日に病死してしまいます。
 今際の際に好物である「チキンラーメンが食べたい」と云ったとか……


☆自由インド臨時政府主席“スバス・チャンドラ・ボース”
 1941年にインドを密かに脱出したチャンドラ・ボースは、ソ連のスターリンにインド独立の為の協力を要請しますが断られたために、ナチス政権下のドイツに亡命。
 ドイツでムッソリーニやヒトラーに協力を求めますが、コチラでも独立への協力は拒否されるのですが、ドイツで約2,000人のインド人から成るインド旅団を結成し反英独立のために協力していました。
 同年末に日本が参戦してきた事を知ったチャンドラ・ボースは、日本へ協力を求めようとしますが、既に独ソ戦が始まっていたことから、陸路からの訪日は不可能だったのですが、チャンドラ・ボースが協力を求めている事を知った日本は、インドへの影響力を考えた末に協力を受諾しました。
 日本からの要請でドイツ海軍の潜水艦U180で密かにフランス大西洋岸のブレストを出航し、インド洋にてU180から日本海軍の伊号第29潜水艦に乗り換えて無事東京に到着しました。
 その後、東京で日本を拠点に独立運動を行っていたラース・ビハーリー・ボースやA・M・ナーイルらと合流し、日本統治下のシンガポールで「自由インド仮政府首班」に就任し、捕虜となったインド兵を中心とした「インド国民軍」も結成し、その最高司令官にも就任しました。
 しかし、日本の敗戦が濃厚となり、日本と協力していてもインドの独立は出来そうに無いと感じたチャンドラ・ボースは、戦後の東西冷戦を予想してイギリスに対抗するために再度ソ連に協力を求めようと、終戦直後の18日に台湾の松山飛行場から飛行機で亡命しようとしますが、墜落事故により死去。

 因みにインドの国会議事堂には“チャンドラ・ボース”“ガンジー””ジャワハルラール・ネルー”の肖像画が掲げられているそうです。
※日本から亡命を勧める電報が打たれていますが、チャンドラ・ボース自身はソ連へ亡命しようとしていた様です。


☆ビルマ(現ミャンマー)の主席“バー・モウ”
 戦争末期の1945年4月にビルマの日本軍は敗退し、ラングーン(現ヤンゴン)を脱出して陸路モールメンへ向かいますが、その退避中にビルマ方面軍の木村中将がバー・モウ一行に対して敵中突破を強いり、その突破を囮として軍首脳部は飛行機でとっとと逃げ出してしまうという、とんでもない事態に合うのです。
 (同盟国の元首をほっぽり出して逃げた木村中将は、その後に陸軍大将に進級したと云います(ォィォィ))
 非常識な軍上層部の囮として利用されながらも、何とかモールメン近くの村に来たときに一行は終戦を迎え、そこで同行していたビルマ駐在の大使の説得で日本への亡命を決意します。
 そして8月24日の夜に立川飛行場に到着しましたが、米軍の進駐も近いことから、東京でかくまう事は難しいと云うことで、民間の志士が集まり話し合った結果、新潟の薬照寺に身を潜めていましたが、英軍の追求が厳しいため、翌1946年1月18日に英軍に出頭し亡命生活を終えますが、出頭したときに佐渡島に反連合軍組織があるとウソの自供をして、連合軍と日本の検察陣を1ヶ月ほど振り回したそうです。
 その後、特赦されビルマに帰国し一時政界に復帰しますが、鳴かず飛ばずに終り1977年5月29日にラングーンの自宅で死去。


☆フィリピン大統領“ホセ・ラウレル”
 1945年3月に山下奉文大将の命令でフィリピン駐在大使に付き添われて台湾へ脱出、2ヵ月後に日本へ亡命しアキノ議長と共に奈良のホテルで亡命生活を送っていましたが、日本の敗戦の後に米軍により逮捕され、巣鴨拘置所に戦犯として拘留されました。
 翌1946年7月にフィリピンが独立宣言を行うと祖国に送還され、対日協力により132件の反逆罪で訴追されますが、1948年4月にロハス大統領の恩赦を受け釈放されますが、日本軍のフィリピン占領を許したのは、米国の怠慢と不用意として米国を責め、日本の大東亜共栄圏に共鳴する姿勢を取り、日本と協調する事で占領下の国民を保護した立場を強調していました。
 その後、政界に復帰し1954年には経済使節団長として渡米し「ラウレル・ラングリー協定」に署名するなど活躍し、1957年に公務から引退、1959年11月6日に69歳で死去。


☆南京国民政府主席“陳公博(ちんこうはく)”
 蒋介石が中国共産党と手を結び抗日民族統一戦線(重慶政府)を作ると、対日和平を唱えていた汪兆銘(おうちょうめい)が、1940年3月30日に南京国民政府を樹立、汪主席の右腕として陳が活躍していましたが、1944年汪主席が病気となり日本での療養中に病死してしまい、陳が後を引き継ぐ事になりました。
 汪主席が病気療養中、陳は主席代理を名乗り活動していたのですが、汪主席の死後、汪主席への義理立ては終ったとして、中国統一のために重慶政府に態度を示し機会を待っていたのですが、日本の敗戦間際に南京駐在大使が日本への亡命を進めて来たのです。
 陳は「南京政府の全てを重慶政府に引き継ぐまでは南京に留まる」としていましたが、「重慶軍の南京進駐の邪魔なにらない様にするため一時身を隠したい」として8月23日に亡命を受諾しますが、「重慶側から呼び出しが有れば直ぐに出頭する」として25日に飛行機で日本へ亡命してきました。
 その後、京都で逃亡生活を送りますが中国側から陳主席の召還命令が出され、10月3日に南京に帰ると直ぐに拘束され、漢奸(売国奴)裁判で翌1946年6月に蘇州で死刑に処せられました。
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